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親父のDNA

先日,親父が亡くなった.78歳だった.

親父は昭和一桁の人間.昭和一桁といえば「頑固者」と言われるが,頑固者というより「偏屈者」といった方が
あたっている気がする.

若いころに電気屋を始め,高度経済成長,バブルに支えられ亡くなるまで何とかがんばってきた.
仕事を始めた昭和30年代ごろなんて問屋に行ってオート三輪の荷台に商品をいっぱい積んで来ても,店に帰る
までに全部が完売してたそうだ.

親父は電気が好きでよく学校や施設の放送用の音響機器の改造や自作をしていた.当時そんなことを出来る人間も
少なく,それが必要とされる時代でよく特注の依頼が来た.
そのため,いろんな部品や工具,おまけにガラクタが家に山ほどあった.
ガラクタといってもクズではなく新品の商品を分解したものが多いのには困った.本人にしてみれば調査や研究の
つもりだったと思うけど,おふくろはよくぼやいていた.

そんな親父の最後は,昼寝したまま逝ってしまった.もう少し,あと5年くらいはがんばってほしいと思っていただけに
残念だった.

親父が逝った後,店を片付けていたらそんなガラクタ達が山ほど出てきた.それを見てこれが「親父の足跡」なんだ
ろうなと思った.



親父のバイブル.CQ出版社の規格表と互換表.

それに,コンデンサやトランジスタ,ICなどの電子部品の一部.

これはあくまで一部であって,ほかにもワンサカ.



親父が自作したアンプや電源の基盤.



自作したプリント基板に「KYOEI」の字が見える.
(屋号が共栄電機商会だから)

今では減ったけど,当時の自作派は回路図を見て部品の
配置と配線パターンを考え,インスタント・レタリングなどを
使ってマスクを作成し生基盤にこれを焼き付けエッチング
して自作していた.

手間はかかるけど,蛇の目基盤で作るより失敗が少なく
何より美しい.

親父は「美しくない仕事はダメだ」とよく言っていた.



親父が使っていた測定器.

右端のオシロスコープはブラウン管式のモノ.
古さを感じるが,親父はテレビの修理も自分でこの
オシロを使って修理していた.

今の電気屋でテレビの修理を出来る人ってほとんど
いないのではないかな.



親父はモノ作りが本当に好きだった.
電気機器だけではなく,電気工事や大工仕事も出来た.
曲がったことが嫌いな性格だったので,人にやらすのが出来ずになんでも自分でこなした.
おかげでこの他にも電気工事の工具や電動工具や工作機械が沢山ある.

もともと酒もギャンブルもしなくて仕事が趣味みたいなもんだったので,その分道具に金をかけるのを惜しまなかった.

よく考えると,私もバイク乗りだけど,どちらかといえばいじることが好きで,工作機械に囲まれていれば安心でき,
モノ作りしている時間が幸せと感じるってことは,親父のDNAがしっかりと受け継がれているのだろう.

後で知ったことだけど,親父はよく私に向かって「バイクなんぞに乗りくさって!!」ってぼやいていたが,
親父も若いころ村で一番早くにバイクを買って乗り回していたらしい.

やはり同じDNAなんだとつくづく思った.

そんな親父には「あと40年もすれば俺もそこに行くから待っといて」と言っておいた.



これからも親父のDNAを引き継いだ「OKUTEC garage」を
宜しくお願いいたします.




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