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母の最期に思った事

 今年の1月に亡くなった母のことを少し書こうと思います.

3年前に病気が分かりそれから2年半,母と一緒に病気と闘ってきました.
母の病気は前にも書いたようにC型肝炎による肝臓癌で,肝硬変まで進行していたため残された時間も
そう長くはありませんでした.

絶えず母の死を意識してしまう私はその度に落ち込んでばかりいました.
こんな事では気持ちまで負けてしまうと思い,何とかそれを乗り越えようと納得できる答えを探し
ましたが幾ら考えてもその答えを見つける事が出来ませんでした.


「諦めきれないけど諦めるしかない現実,悔やんでも仕方がないけど悔やむ毎日」
母は病気と闘い,私達は気持ちと闘う,そんな日々だった気がします.


何度もくじけそうになりましたが,その度に母がこれまで私達にしてくれた事が思い出され,それが支えと
なって毎日を送って来られました.


一生懸命に生きて来た母に対して今私が何をすべきなのかを考えました.
病気を治すことが出来ないのなら最期のそのときまで一緒に向き合って,そして母の最期をきっちりと
看取ることが唯一ではないかとそう思い,頑張ってきた母の息子として中途半端なことだけはしまいと
それだけを考えてやってきました.



ある日,病室で寂しそうにしている母を見て,小さいころの
自分を思い出しました.

気が小さく泣き虫な私は外泊すると決まってホームシックに
かかり,いつも夜中に迎えに来てもらっていました.

こうなって初めて母の優しさや温かさに包まれて暮らしてい
たんだと分かった気がします.

病院で一人私達の来る事だけを楽しみにしている母と幼かった
ときの自分が重なって無性に切なくなり,終る事の無い入院
生活を考えるとたまらなく辛くなり,母を一人にさせないために
在宅介護を選びました.


帰り際に手を振って私達を見送ってくれる母.
切なかった.



不慣れな在宅介護でしたが一生懸命に取り組んでくれるケアマネージャーや訪問看護師,入浴サービスの
人たちの協力があって母と共に暮らす事ができました.
それは制度や介護事業といった組織よりも,そこに携わる人の頑張りあっての事だとつくづく思いました.

ただ肝心な地域医療は,その医療レベルはそれまでの専門医とは大きく隔たりありました.
その原因は病院の規模の違いというよりも,中小企業的な感覚に似た視野の狭い医師の思考がもたらす
産物のように私は感じました.

知らない事があれば電話一本掛けて教えてもらえばすむ事を,それをしない医師の姿勢に憤りを感じ,何度も
喧嘩をしました.



私には地域医療でいう「ターミナルケア」が最期の日までの
看護をどうしていくのかと言った
「終わりに向けた医療」のように思えてなりませんでした.

私達患者の家族が求める「たとえ終末期であっても
何か少しでも良い事を見つけて,一日でも長生きするための
医療が無いか」と願うその気持ちとは全く違うもので,
幾らそれを言ってもその溝を埋めることは最後まで出来ませんでした.

看護日記
体調を始め体温,飲んだ薬の管理,食事の量や
便の状態と回数,尿量,それに気付いたことを
毎日書いた.



5月から始まった在宅介護も暑い夏が過ぎ,涼しい秋になったので車椅子に乗せて,よく行った商店街や
小学校,昔住んでいた家の周辺など,思い出のある場所を選んでは行ってみたりしました.




たこ焼き屋を見つけては食べ比べをした.
楽しかった.




母は新幹線に乗った事が無かったのでせめて
見るだけでもと思い新幹線基地に連れてきてあげた.

車椅子に乗る母からはガードレールしか見えな
かったことに亡くなってから気付いた.



新幹線基地の近くにある新幹線公園.
嫁さんもいつも一緒に付いて来てくれた.
ありがたかった.

散歩に出たら2時間くらい歩き回った.
母のためといいながらそれは私自身の思いで作りと今までろくに親孝行してこなかった反省の意味も
あっての事だった気がする.






やがて冬になり,いつまでこうやって居られるだろうかと思いながら12月に入ったある日,
母は高熱と下痢,嘔吐を発症し地域医療では対応できなくなったため元の病院に再び入院してしまいました.

ただ,その時は誰しもがしばらく入院したらまた帰ってくるものだと思っていました.

しかし母は自分が入院したことを理解できず,みんなが帰った後,自分も家に帰ろうとして歩けないのに
ベットから降りようとして転倒,股関節を骨折してしまいました.


一報を受けみんな愕然としました.
僅かでもみんな希望をもって暮らしてきたのに現実はいつも無情でした.

当然病院にもなぜそうなったか問いただしもしたが,それよりも私の中ではこの病気の怖さや
母の不運さをしみじみと感じてしまい,誰も恨むことは出来ませんでした.


それでも骨折が治ればまた家に戻れると信じていました.

やがて黄疸がではじめて体中が黄色くなりだしました.

毎日病院に行っているにもかかわらず,その変化がはっきり分かるぐらい大きすぎて,深刻な状態に
なっていることが分かりました.



それでもクリスマスは病院にみんなが集まり母を囲んでケーキを食べました.


辛かったけどそれでも楽しかった.



2007年のクリスマス・イブ
みんなつらかったけど悲しい顔を見せないように頑張った.


甘いものが好物だった母
イチゴのショートケーキがお気に入りだった.





年末からさらに様態は悪化し正月の三が日を過ぎた頃から意識がもうろうとしだしました.


好きなものを食べさせてあげようと好物ばかり買っていったのですが食べてもすぐに吐いてしまい,
嘔吐物を見ると朝食べたうどんが夕方になってもそのままの形をしていました.


消化の良いものですら消化できないような母を見てすごく悲しくなりました.


それでも持っていった物を頑張って食べようとしてくれました.
私が買い与えていた漢方薬を不味かったのに最後まで我慢して飲みつづけてくれました.

すごくつらかった.



生きていくことが限界なのが見ていて分かりました.




やがて昏睡状態になった母.

もう問い掛けても何も応えてはくれませんでした.


胃液が逆流し喉に詰まって苦しそうになりながらも母は呼吸していました.


何度吸い取ってあげても上手くいかず,苦しそうに呼吸し続けていました.


私には苦しそうに呼吸を続ける母が自分に与えられた命の時間を一生懸命に生きているように
見えました.


そんな母に「すごく頑張っているよ」って声を掛けました.


聞こえないと分かっていてもその言葉を何度も何度も掛け続けました.



ずっと母のそばにいました.

引いては寄せる波の音のように繰り返される母の呼吸が生きている証に思えました.

だからその呼吸の一つ一つを必死で聞きつづけました.


次第に呼吸がゆっくりとなるのが分かりました.

その意味が何であるか私にもすぐにわかりました.


「よく頑張ったよ.もういいよ.ありがとう」 泣くのを我慢して何度何度も声を掛けました.



吐いた息をもう吸い込むことはなく,それが最後の呼吸でした.

何度も何度も「よくがんばったよ,ありがとう」って母に声を掛けました.





みんな悲しくて泣いていました.

私も泣きました.

でも悲しくて泣いたのではなく,頑張って生き続けた母がすごく立派に思え,感謝の気持ちで満たさたような
気持になっていました.


何度も何度も「ありがとう」って言葉が出てきました.


頑張って生きてくれた母を見て,母の子供でいたことが誇りに思えました.そんな気持ちになったのは
生まれて初めてのことでした.

すごく嬉しくて涙があふれてきました.



最期まで頑張ってくれた母がうれしかったです.そんな母の最期を看取れて嬉しかったです.



だから私の母への最後の言葉は「ありがとう」でした.





ある人に「母を見ているとかわいそうで辛くてたまらない」と言ったとき,その人が私にこう話してくれました.

「お母さんも辛いけど,本当に辛いのはお母さんではなくて
残された家族なんですよ.

突然お母さんがこの世を去ったら,残された者はショックで
どうしようもなくなるでしょう.

そうならないためにお母さんは少しずつそういうところを見せて
慣らしていってくれてるんですよ.

お母さんは今あなた達のために生きてくれてるんですよ」と.

一番助けられた話でした.そして辛いことにも
意味があるんだという事を知りました.




母が半年間過ごした部屋
ここで食事をしてテレビを見て一緒に話しをした.
夜中に何度も起こされた事もあった.
下の世話もやった.





母の病気が分かってから2年と6ヶ月.
半年ほどの在宅介護でした.

つらい事が多かったけれど,世の中にはもっと不幸な別れをする人がいて,その人たちに比べれば自分達は
母と一緒に頑張ってこられただけ幸せだったんだと思います.


母が最期まで一生懸命生きてくれて,そこに一緒にいられたからこそ,母の死を受け入れることが出来たのだと
思います.



母の最期の出来事が私にはすごく大切に思え,そのときの事を
皆さんに知っていただきたくて,この日記を書きました.


いつか皆さんが同じ状況になったとき,何かの参考になれば幸い
です.



入院中に知り合った方が何人も亡くなられました.
同じ境遇だったため励ましていただいた事も沢山ありました.
その方々のご冥福をお祈りいたします.


そして病気と闘う患者とその家族の方々に少しでも幸せが
訪れる事を祈っています.


長々とすみませんでした.

亡くなる一年前,入院先のベットで写した
私の一番お気に入りの写真.


このパソコン机の前にも飾っている.










2008年7月  OKU-TEC店長  






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